村山俊太郎(読み)ムラヤマ トシタロウ

20世紀日本人名事典 「村山俊太郎」の解説

村山 俊太郎
ムラヤマ トシタロウ

昭和期の教育家,労働運動家 山形県教組副委員長。



生年
明治38(1905)年7月15日

没年
昭和23(1948)年12月9日

出生地
福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)

出身地
山形県北村山郡山口村

学歴〔年〕
山形師範専攻科〔昭和3年〕卒

経歴
大正10年尋常高等小学校を卒業して16歳で代用教員、13年検定試験で本科正教員の免状取得。15年山形県師範2部卒業、昭和3年山形師範専攻科を卒業、東沢小学校教員。6年山形県教育労働者組合を結成、7年検挙され起訴猶予となったが免職。8年日刊山形新聞記者。9〜10年「綴方生活」地方同人として見解を発表、「北方教育」誌で北日本国語教育連盟結成運動を支援。11年「生活児童詩の理論と実践」を刊行。12年復職、14年第1回教育科学研究会全国集会に参加。15年生活綴方事件で検挙され、17年実刑5年の判決。病気のため入獄延期のまま終戦を迎え、戦後21年日本共産党に入党、山形県教組副委員長となり10月闘争指導、翌年2.1ストの途中、倒れた。著書に「村山俊太郎著作集」(全3巻)があり、夫人ひでにも「北方の火とともに」「明けない夜はない」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村山俊太郎」の解説

村山俊太郎 むらやま-としたろう

1905-1948 昭和時代の教育運動家。
明治38年7月15日生まれ。山形県の小学校教員となり,教育労働者組合を結成して昭和7年検挙された。12年復職して北方性教育運動をすすめたが,15年生活綴方(つづりかた)事件で再検挙。戦後共産党にはいり,復職して県教組副委員長。著作集3巻がある。昭和23年12月9日死去。44歳。福島県出身。山形師範卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「村山俊太郎」の解説

村山 俊太郎 (むらやま としたろう)

生年月日:1905年7月15日
昭和時代の教育運動家
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android