日本大百科全書(ニッポニカ) 「村山当安」の意味・わかりやすい解説
村山当安
むらやまとうあん
(1562?―1619)
江戸前期の長崎代官。海外貿易やキリシタンとしても知られる。名前は諸書に東安、等安、安東などとあるが、自らは「村山当安安当仁与」と署名している。末尾は教名のアントニヨの当て字。出自は明らかでないが、長崎に移り住んでいた間、文禄(ぶんろく)の役(1592~96)のため名護屋(なごや)にとどまっていた太閤(たいこう)秀吉に認められ、長崎代官となり、朱印船貿易において大いに財をなした。一家はこぞってキリシタンとなったが、当安はイエズス会と争ったために、彼らからは「背教者」かつ悪徳の人物と報告される。一方ドミニコ会員は当安を殉教者として賞賛してやまなかった。1619年(元和5)幕府の命により江戸で処刑された。
[松田毅一]