改訂新版 世界大百科事典 「長崎代官」の意味・わかりやすい解説
長崎代官 (ながさきだいかん)
江戸時代に長崎および周辺の肥前,肥後,豊前,豊後などの幕府直轄地を管轄した地方官。勘定奉行に属するが,出自が長崎の豪商で,徴収した年貢で幕府所要の輸入品を調達した点に特色がある。教会領長崎を没収した豊臣秀吉は,1588年(天正16)これを肥前竜造寺氏の重臣鍋島直茂に預けて代官とした。直茂が文禄の役で朝鮮に出陣すると,後任に唐津藩主寺沢広高を任じて初代奉行とし,長崎町人の村山等安を代官として郷地の年貢徴収に当たらせた。徳川家康もこれを踏襲したが,豪商末次平蔵は等安をキリシタンで豊臣秀頼に内通したと告発して1616年(元和2)代官となり,鎖国の形成にらつ腕をふるった。4代目平蔵は長崎周辺7ヵ村のほか一時天草を管したが76年(延宝4)に改易され,事務は町年寄が兼管した。1739年(元文4)代官が再置され,高木作右衛門家が世襲。手代10人余を持ち,長崎付き地方3ヵ村約3000石,周辺7ヵ村約7000石のほか,天草,日向,筑前怡土(いと)郡など約3万石,一時は日田郡代地16万石を管したこともあった。手代の一人であった金井八朗翁の〈備考録〉は長崎の貿易,行政などに関する実務細目別の法令集である。〈御郡方記録〉〈長崎代官高木氏事務手控〉や森永種夫編《長崎代官記録集》の出典たる〈御用留〉〈諸伺付札留〉〈諸事留〉などの関係文書は,おもに長崎市立博物館,県立長崎図書館にある。初期の代官記録は壊滅的で,むしろ教会史料やオランダ商館の日記など外国側記録が詳しい。
執筆者:中村 質
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報