村山神社(読み)むらやまじんじや

日本歴史地名大系 「村山神社」の解説

村山神社
むらやまじんじや

[現在地名]土居町津根 長津坂

津根つねの旧国道と国道一一号の間の長津坂ながつざかにある。椿の森(津の脇からの転訛という)ともいい、伊和世いわせの宮ともよんだという(西条誌)祭神は天照大神・斉明天皇・天智天皇。旧県社。

文徳実録」に「仁寿三年六月甲戌、以伊予国村山神、預於名神」とあり、「延喜式」神名帳にも「宇摩郡一座 村山神社名神」とみえる。また「三代実録」に「貞観九年二月五日(中略)授伊予国(中略)従五位上村山神正五位下」とあり、さらに貞観一二年(八七〇)には正五位上を授けられたとある。

村山神社
むらやまじんじや

[現在地名]亀岡市篠町森

もりの北部、みや山という小山の上にある。「延喜式」神名帳にみえる桑田郡村山神社に比定される。祭神は大山祇命・木花開屋姫命。旧村社。森・柏原かせばら広田ひろた浄法寺じようぼうじ氏神

社伝によれば、往古社地も広大であったが兵乱で焼失し、応永二一年(一四一四)森村国恩こくおん寺の雑掌としてこの辺りを治めていたといわれる渡辺六郎頼方が再興し、その頃当社に並列して八幡社も勧請したという。

古代明神みようじんヶ岳より現在地に移されたと伝え、また渡辺六郎が再興にあたり、殿上の官女・上臈に社宇建立経巻寄進の助力を請い、官女らも大般若経を寄進した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の村山神社の言及

【土居[町]】より

…北は燧(ひうち)灘に面し,町域中央を関川が流れ,南部は法皇山脈の山地である。開発の歴史は古く,多くの考古遺跡があり,宇摩郡内唯一の式内社村山神社(名神大社)が津根に鎮座,古代南海道の近井(ちかい)駅も町域内に比定される。江戸時代前期,西条藩から宇摩郡内5000石を分知された一柳直照の陣屋が津根の八日市に置かれていた。…

※「村山神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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