浄法寺(読み)じようぼうじ

日本歴史地名大系 「浄法寺」の解説

浄法寺
じようぼうじ

[現在地名]鬼石町浄法寺 内手

十石じつこく街道の西にある。天台宗、広厳山般若浄土院と号し、本尊は阿弥陀如来緑野教みどのきよう寺・緑野寺・浄院じよういん寺などと称された古代寺院の後身とされ、寺伝では聖武天皇の勅願によって鑑真の弟子道忠が創建、最澄再建したという。地元では地名と区別して浄土院とよぶ。京都高山こうざん寺蔵「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」三巻本の弘仁六年(八一五)六月一八日の奥書に「上野国緑野郡浄院寺 一切経本 掌経仏子教興 掌経仏子 写経主仏子教興 経師近事法慧」とあり、表紙見返しには別筆で「秘密経王三十六巻弘仁六年五月依海阿闍梨之勧進上毛沙門教興書進」と記す。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浄法寺」の意味・わかりやすい解説

浄法寺
じょうぼうじ

岩手県北西部、二戸郡(にのへぐん)にあった旧町名(浄法寺町(まち))。現在は二戸市の南西部を占める地域。青森県境にある。1940年(昭和15)町制施行。2006年(平成18)、二戸市に合併。旧町域の北西に稲庭(いなにわ)岳、南に毛無(けなし)森がそびえ、その間を北東流する安比(あっぴ)川に沿って耕地が開けるが、大部分は丘陵地で開拓集落が点在する。葉タバコ栽培、畜産、林業が行われる。御山(おやま)地区には728年(神亀5)行基(ぎょうき)の開山と伝える八葉山(はちようざん)天台寺があり、広く信仰を集め、本堂仁王門、十一面観音立像、聖(しょう)観音立像は国の重要文化財。漆の生産量は全国一で、天台寺の寺僧が始めたという浄法寺椀(わん)などの浄法寺塗は国の伝統的工芸品に指定される。稲庭岳裾野(すその)は草地改良事業が進み、酪農などが行われ、後継者を養成する県立浄法寺営農高等学園が設立された(現、県立農業大学校に吸収)。高曲原(たかまがはら)はキャンプ場の適地

[川本忠平]

『『浄法寺町史1 資料編』(1976・浄法寺町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浄法寺」の意味・わかりやすい解説

浄法寺
じょうぼうじ

岩手県北西部,二戸市南西部の旧町域。青森県に隣接する。稲庭岳 (1078m) と七時雨山 (1063m) の中間を流れる安比川 (あっぴがわ) の谷を占める。 1940年町制。 2006年二戸市と合体。旧町名は中世以来の地名による。鎌倉時代から浄法寺氏がこの地を支配し,江戸時代には南部氏がこれに代わった。古くからの南部漆の産地で浄法寺椀は特産品。浄法寺の漆掻きと浄法寺塗の用具および製品は国の重要有形民俗文化財に指定されている。行基開祖と伝えられる八葉山天台寺があり,聖観音立像とともに国の重要文化財に指定されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「浄法寺」の意味・わかりやすい解説

浄法寺 (じょうぼうじ)

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