津根村(読み)つねむら

日本歴史地名大系 「津根村」の解説

津根村
つねむら

[現在地名]土居町津根

現土居町東部にある集落。東は野田のだ村、西は藤原ふじわら村、南は津根山つねやま(現伊予三島市)、北はひうち灘に面する。天保一三年(一八四二)の「西条誌」によると東西およそ九町半、南北およそ一九町の農村であった。

和銅二年(七〇九)三月二八日の「河内国古市郡西林寺事」(西琳寺文書)に「僧願忠年五十六、伊予国宇麻郡常里(戸)主金集史挨麿弟保麿臈三十三、(中略)飛鳥寺受戒」とみえる「常里」が地名の初見である。この地は早くから開け、宇摩郡には金や銅の産出もあったところから、「三代実録」に「為貞観永宝鋳銭司路遠妨多」とある「常」を津根の鋳銭司とする説もある。

「西条誌」に「福島左衛門大夫殿領分の時ハ高三百六拾余石」の村伝えがあるとみえ、慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇摩郡の項には「高千五百四石五斗八升 津禰村」とあり、郡内最大の石高であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む