村崎野村(読み)むらさきのむら

日本歴史地名大系 「村崎野村」の解説

村崎野村
むらさきのむら

[現在地名]北上市飯豊町いいとよちよう 村崎野、北工業団地きたこうぎようだんち

二子ふたご村の西、村崎野段丘とよばれる洪積台地に立地する。北から東にかけて飯豊村・成田なりた村。近世初頭までは一面の原野で、近隣の村々の草飼場や堤のある場所であった。「雑書」慶安五年(一六五二)三月の記事に紫野野火のことがみえる。盛岡藩士奥寺八左衛門定恒の開発により寛文九年(一六六九)成立した(「村崎野村年代覚」斎藤文書)

奥寺氏は寛文五年藩営事業の御蔵新田開発を許され、和賀郡中部原野の開拓にあたった。用水和賀川上流から取水する工事に失敗し苦労したが、起工後一一年目の延宝三年(一六七五)うわ堰の水がようやく村崎野に達した(村崎野村年代覚)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android