市域は北上川によって形成された沖積地を挟んで東西に分れる。東部は主要河川がなく、小河川による開析がなされているが段丘は未発達で、
縄文時代前期・中期になると多くの遺跡が調査されている。代表的なものとして状耳飾などが出土している。高畑遺跡からは前期末の単独時期の遺物が出土し、遺構は竪穴住居跡・貯蔵穴が検出され、遺物は大木6式併行の深鉢形土器・石鏃・石匙・石錐・石篦などの石器である。坊主峠遺跡では大型住居跡を含む七棟の竪穴住居跡、中期土器・土版・土剣・土偶の土製品のほか紅殻、パン状炭化物の特殊遺物が出土した。
縄文後期・晩期になると遺跡は標高五〇メートルから一〇〇メートルの低位段丘・沖積地に集中してくる。後期の遺跡としては関東加曾利B式併行の深鉢・浅鉢・注口土器・土偶を出土した
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報