村松博雄(読み)ムラマツ ヒロオ

20世紀日本人名事典 「村松博雄」の解説

村松 博雄
ムラマツ ヒロオ

昭和期の医事評論家 村松医院院長。



生年
大正15(1926)年12月7日

没年
昭和53(1978)年4月25日

出身地
東京・日本橋

学歴〔年〕
東京慈恵会医科大学〔昭和26年〕卒

経歴
家は江戸時代からつづく医者。大学卒業後、慈恵病院の産婦人科に入局。昭和32年前後から家業の村松医院を継ぐ。医事のかたわら医学教育、性教育、婦人問題について論文執筆、TV出演など多方面で活躍。著書に「赤ちゃん救急箱」「幼児救急箱」「これからの性教育」「今日の性教育」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村松博雄」の解説

村松博雄 むらまつ-ひろお

1926-1978 昭和時代後期の医師
大正15年12月7日生まれ。母校東京慈恵医大付属病院の産婦人科にはいる。昭和32年ごろ生家の医院をつぐ。医療問題や性教育について啓発活動をおこなった。昭和53年4月25日死去。51歳。東京出身。著作に「ママさん救急箱」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例