朝日日本歴史人物事典 「村田恒光」の解説
村田恒光
生年:生年不詳
幕末の算学者。伊勢国(三重県)津藩士で佐十郎と称す。祖父より測量術を学び,数学は長谷川寛 の高弟で,その名は関西にあって特に著名であった。渋川景佑の手付下役を天保14(1843)年4月から1年勤め,景佑のまとめた観測記録である『霊験候簿』にその名がある。のちに津に帰り測量術の教授をし,また日食の観測記録も残している。天保5年著の『算法側円詳解』は側円(楕円)に関する最初の刊本である。他に同7年『算法地方指南』,同13年『算法楕円解』,嘉永6(1853)年『量地手引草』,文久1(1861)年『伊勢国細見図』などの著がある。
(内田正男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報