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村田恒光 むらた つねみつ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村田恒光 むらた-つねみつ

?-1870 幕末の和算家,測量家。
村田光窿(こうりゅう)の孫。伊勢(いせ)津藩士。祖父に測量術をまなび,江戸で長谷川寛(ひろし)の高弟となる。楕円(だえん)についての「算法側円詳解」,六分円儀による陸地測量法「量地手引草」などを刊行。藩校有造館の講師をつとめ,門人に柳楢悦(ならよし)ら。明治3年9月14日死去。字(あざな)は如訥(じょとつ)。通称は佐十郎。号は栢堂(はくどう)。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

村田恒光

没年:明治3.9.14(1870.10.8)
生年:生年不詳
幕末の算学者。伊勢国(三重県)津藩士で佐十郎と称す。祖父より測量術を学び,数学は長谷川寛 の高弟で,その名は関西にあって特に著名であった。渋川景佑の手付下役を天保14(1843)年4月から1年勤め,景佑のまとめた観測記録である『霊験候簿』にその名がある。のちに津に帰り測量術の教授をし,また日食の観測記録も残している。天保5年著の『算法側円詳解』は側円(楕円)に関する最初の刊本である。他に同7年『算法地方指南』,同13年『算法楕円解』,嘉永6(1853)年『量地手引草』,文久1(1861)年『伊勢国細見図』などの著がある。

(内田正男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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