改訂新版 世界大百科事典 「長谷川寛」の意味・わかりやすい解説
長谷川寛 (はせがわひろし)
生没年:1782-1838(天明2-天保9)
江戸末期の数学者。初め藤次郎,後に善左衛門という。号は西磻,晩年は極翁という。塾を長谷川数学道場と名付け,内田五観の瑪得瑪弟加塾とともに,幕末の二大数学塾となった。弟子も多く,刊行された数学書も多数ある。子がなく,弟子の佐藤秋三郎篤信を養子とする。これが2代長谷川善左衛門弘(1810-87)である。塾から出版された数学書の中で,《算法新書》(千葉胤秀編,1830),《大全塵劫記》(山本賀前編,1832),《算法地方大成》(秋田義一編,1837)はとくに有名で,なかでも《算法新書》は初歩から専門の分野に至る数学の集大成で,明治中期まで何回も改版され広く読まれた。長谷川寛は図形の変形について新しい方法を見つけ,これを変形術,極形術と名付け,《算法変形指南》(福田廷臣編,1820),《算法極形指南》(秋田義一編,1836)として公刊した。現在から見れば不完全ではあるが独創的である。
執筆者:下平 和夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報