束荷庄(読み)つかりのしよう

日本歴史地名大系 「束荷庄」の解説

束荷庄
つかりのしよう

島田しまた川の支流立野たての川の流域、束荷辺りに比定される七条院領の荘園。七条院は高倉天皇の典侍藤原殖子。立荘の時期は不詳。

安貞二年(一二二八)七条院の死去に先立つ八月、その所領のうち三七ヵ所の荘園が後鳥羽法皇の后妃修明門院藤原重子に譲与された。八月五日付の七条院藤原殖子処分目録案(東寺百合文書)にすめいもん(修明門)宛として「周防国 束荷庄」がみえる。修明門院は建長三年(一二五一)順徳天皇の皇子四辻宮善統に譲渡。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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