コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

修明門院 しゅうめいもんいん

7件 の用語解説(修明門院の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

修明門院
しゅうめいもんいん

[生]寿永1(1182).京都
[没]文永1(1264).8.29. 京都
後鳥羽天皇の後宮藤原重子。初名は範子,また親子とも称した。父は贈左大臣藤原範季,母は中納言平教盛の娘教子。後鳥羽天皇の後宮に入って二条君と称し,守成親王 (のち順徳天皇) および雅成,寛成両親王を産んだ。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

しゅめい‐もんいん〔‐モンヰン〕【修明門院】

[1182~1264]後鳥羽天皇の妃。順徳天皇の母。父は藤原範季。名は初め範子、親子、のち重子。承久(じょうきゅう)の乱後、尼となり、法名を法性覚といった。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

修明門院 しゅめいもんいん

1182-1264 鎌倉時代,順徳天皇の母。
寿永元年生まれ。父は藤原範季(のりすえ)。母は平教子(のりこ)。後鳥羽(ごとば)天皇の後宮にはいり二条君とよばれ,順徳天皇,雅成(まさなり)親王,尊快入道親王を生む。建永2年(1207)准三宮(じゅさんぐう)となり,院号をうける。承久(じょうきゅう)の乱で敗れた後鳥羽上皇にしたがって出家し,法性覚と号した。文永元年8月29日死去。83歳。名は範子(はんし),のち重子(じゅうし)。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

修明門院

没年:文永1.8.29(1264.9.20)
生年:寿永1(1182)
鎌倉前期の女院。名は初め範子,のち重子。後鳥羽上皇の愛妃で,順徳天皇・雅成親王・尊快法親王の母。後鳥羽を養育した従二位(贈左大臣正一位)藤原範季の娘。上皇の腹心の女房卿二位の養女となる。二条局と称して上皇に仕え寵を得て,建久8(1197)年守成(順徳天皇)を生んだ。同9年12月従三位,次いで従二位。承元1(1207)年6月,院号宣下。上皇と仲睦まじく,常に同居した。承久3(1221)年7月,承久の乱の敗退により上皇が出家したのに伴い,出家。その後は順徳の子どもを後見,養育した。また上皇の母七条院や卿二位の遺領の大半を得た。

(秋山喜代子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

しゅめいもんいん【修明門院】

1182‐1264(寿永1‐文永1)
後鳥羽天皇の後宮藤原重子の院号名。初名範子,また親子ともいう。藤原(高倉)範季の娘,母は平教盛の娘教子。後宮では二条君と称したが,1197年(建久8)のちの順徳天皇を生み,翌年従三位に叙される。1207年(承元1)准三宮,院号宣下。承久の乱の敗戦にさいして後鳥羽上皇とともに鳥羽殿で出家,法名を法性覚という。ついで院号・年官爵・封戸等を辞し,岡崎に屛居した。【杉橋 隆夫】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

しゅめいもんいん【修明門院】

1182~1264) 後鳥羽天皇の妃。初名範子・親子、のち重子。藤原範季の娘。順徳天皇の生母。二条君という。1207年院号宣下。承久の乱後、落髪。法名、法性覚。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

修明門院
しゅめいもんいん
(1182―1264)

鎌倉時代の女院。藤原重子(じゅうし)。「すめいもんいん」とも。父は藤原範季(のりすえ)。母は平教子(きょうし)。後鳥羽天皇の後宮に入り、1197年(建久8)守成(もりなり)親王(のちの順徳天皇(じゅんとくてんのう))を出産。1207年(承元1)准三宮(じゅさんぐう)に叙せられ、女院となり修明門院と号す。藤原定家はこのとき密かに、「修明」は呉王夫差(ごおうふさ)夫人の名ゆえ避けるべきと記した。1221年(承久3)承久の乱の敗北により、後鳥羽上皇は隠岐(おき)へ、順徳上皇は佐渡に流され、修明門院は都で出家した。法名は法性覚(ほうしょうかく)。院号および年官・年爵・封戸・諸司例給など一切を辞退した。その一方で七条院(後鳥羽母)領荘園を相続し、後鳥羽死後は追善仏事を担当した。[野村育世]
『布谷陽子著「承久の乱後の王家と後鳥羽追善仏事」(羽下徳彦編『中世の地域と宗教』所収・2005・吉川弘文館) ▽金子幸子他編『日本女性史大辞典』(2008・吉川弘文館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

修明門院の関連キーワード樹下範子公猷法印承明門院薄雲の女院犬御前陰明門院実眼藤原範子藤原範光源重子

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone