修明門院(読み)シュメイモンイン

デジタル大辞泉 「修明門院」の意味・読み・例文・類語

しゅめい‐もんいん〔‐モンヰン〕【修明門院】

[1182~1264]後鳥羽天皇の妃。順徳天皇の母。父は藤原範季。名は初め範子、親子、のち重子。承久じょうきゅうの乱後、尼となり、法名を法性覚といった。

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精選版 日本国語大辞典 「修明門院」の意味・読み・例文・類語

しゅめい‐もんいん‥モンヰン【修明門院】

  1. 鳥羽天皇後宮。順徳天皇の母。藤原範季の娘。初名は範子、親子、のち重子。承元元年(一二〇七准三宮と院号宣下。承久乱後出家。法名法性覚。寿永元~文永元年(一一八二‐一二六四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「修明門院」の意味・わかりやすい解説

修明門院
しゅめいもんいん
(1182―1264)

鎌倉時代の女院。藤原重子(じゅうし)。「すめいもんいん」とも。父は藤原範季(のりすえ)。母は平教子(きょうし)。後鳥羽天皇の後宮に入り、1197年(建久8)守成(もりなり)親王(のちの順徳天皇(じゅんとくてんのう))を出産。1207年(承元1)准三宮(じゅさんぐう)に叙せられ、女院となり修明門院と号す。藤原定家はこのとき密かに、「修明」は呉王夫差(ごおうふさ)夫人の名ゆえ避けるべきと記した。1221年(承久3)承久の乱の敗北により、後鳥羽上皇隠岐(おき)へ、順徳上皇は佐渡に流され、修明門院は都で出家した。法名は法性覚(ほうしょうかく)。院号および年官・年爵・封戸・諸司例給など一切を辞退した。その一方で七条院(後鳥羽母)領荘園を相続し、後鳥羽死後は追善仏事を担当した。

[野村育世]

『布谷陽子著「承久の乱後の王家と後鳥羽追善仏事」(羽下徳彦編『中世の地域と宗教』所収・2005・吉川弘文館)』『金子幸子他編『日本女性史大辞典』(2008・吉川弘文館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「修明門院」の意味・わかりやすい解説

修明門院 (しゅめいもんいん)
生没年:1182-1264(寿永1-文永1)

後鳥羽天皇の後宮藤原重子の院号名。初名範子,また親子ともいう。藤原(高倉)範季の娘,母は平教盛の娘教子。後宮では二条君と称したが,1197年(建久8)のちの順徳天皇を生み,翌年従三位に叙される。1207年(承元1)准三宮,院号宣下。承久の乱の敗戦にさいして後鳥羽上皇とともに鳥羽殿で出家,法名を法性覚という。ついで院号・年官爵・封戸等を辞し,岡崎に屛居した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「修明門院」の意味・わかりやすい解説

修明門院
しゅうめいもんいん

[生]寿永1(1182).京都
[没]文永1(1264).8.29. 京都
後鳥羽天皇の後宮藤原重子。初名は範子,また親子とも称した。父は贈左大臣藤原範季,母は中納言平教盛の娘教子。後鳥羽天皇の後宮に入って二条君と称し,守成親王 (のち順徳天皇) および雅成,寛成両親王を産んだ。従三位から従二位に進み,承元1 (1207) 年准三宮となり,院号宣下を受けて修明門院と号した。承久の乱後,幕府が後鳥羽天皇に薙髪 (ちはつ) を迫るや,門院もまた尼となった。法名は法性覚。後鳥羽上皇が隠岐に移ってのちは,院号,年官年爵,封戸などを辞して屏居した。

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朝日日本歴史人物事典 「修明門院」の解説

修明門院

没年:文永1.8.29(1264.9.20)
生年:寿永1(1182)
鎌倉前期の女院。名は初め範子,のち重子。後鳥羽上皇の愛妃で,順徳天皇・雅成親王・尊快法親王の母。後鳥羽を養育した従二位(贈左大臣正一位)藤原範季の娘。上皇の腹心の女房卿二位の養女となる。二条局と称して上皇に仕え寵を得て,建久8(1197)年守成(順徳天皇)を生んだ。同9年12月従三位,次いで従二位。承元1(1207)年6月,院号宣下。上皇と仲睦まじく,常に同居した。承久3(1221)年7月,承久の乱の敗退により上皇が出家したのに伴い,出家。その後は順徳の子どもを後見,養育した。また上皇の母七条院や卿二位の遺領の大半を得た。

(秋山喜代子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「修明門院」の解説

修明門院 しゅめいもんいん

1182-1264 鎌倉時代,順徳天皇の母。
寿永元年生まれ。父は藤原範季(のりすえ)。母は平教子(のりこ)。後鳥羽(ごとば)天皇の後宮にはいり二条君とよばれ,順徳天皇,雅成(まさなり)親王,尊快入道親王を生む。建永2年(1207)准三宮(じゅさんぐう)となり,院号をうける。承久(じょうきゅう)の乱で敗れた後鳥羽上皇にしたがって出家し,法性覚と号した。文永元年8月29日死去。83歳。名は範子(はんし),のち重子(じゅうし)。

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