東七条(読み)ひがしななじよう

日本歴史地名大系 「東七条」の解説

東七条
ひがしななじよう

昭和一二年(一九三七)成立した字。旧東七条七―八丁目・帯広・下帯広・ヲベリベリ・基線・南二線・南三線・南四線・南五線・南六線。成立当時は北一―二丁目・南二―二五丁目からなる。東六条ひがしろくじようの東に並行する南北通りに沿う。南六―九丁目は明治三一年(一八九八)以前に区画された(状況報文)


東七条
ひがしななじよう

[現在地名]旭川市東七条一―一〇丁目

昭和二八年(一九五三)二月に新設された町。昭和七年一〇月までは永山ながやま村のうちで、同年一一月旭川市に編入された旧永山村新旭川地区に相当する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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