日本歴史地名大系 「東三条院跡」の解説
東三条院跡
ひがしさんじよういんあと
宇多上皇の
「拾芥抄」は「四条院誕生所、或重明親王家云々、二条南ノ町西、南北二町、忠仁公家、貞信公大入道殿伝領、長久四四卅焼失」と記し、場所とその伝領を伝える。この地は現
「拾芥抄」にみる伝領関係は、重明親王・忠仁公(藤原良房)・貞信公(忠平)の三人であるが、「日本紀略」寛平九年(八九七)八月九日条に「
その後、永観二年(九八四)三月に焼亡(同書)。三年後の永延元年(九八七)七月には新造なり、兼家はここに移転(同書)した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報