平安時代末期の説話集。編者未詳。12世紀初頭に成立。31巻。ただし,巻八,巻十八,巻二十一を欠く。天竺(てんじく)(インド)(巻一~巻五),震旦(中国)(巻六~巻十),本朝(日本)(巻十一~巻三十一),の3部より成る。標題のみを残す19話,標題と本文の一部を残す説話を含めて,1059話を収録。
《宇治拾遺物語》の序に,宇治大納言源隆国(みなもとのたかくに)が納涼のために宇治平等院の南泉房(なんせんぼう)に籠り,往来の諸人の昔物語を記録したものが《宇治大納言物語》であり,増補されて世に行われている,とある。従来は,この《宇治大納言物語》が本書と同一視され,本書は隆国の編とされていたが,収録説話に隆国没後の記事を含むこと,隆国の編としては説明の困難な誤りを含むことなどが指摘され,隆国編纂説はそのままでは受け入れられなくなった。《宇治大納言物語》も,本書とは別の,すでに散逸してしまって現存しない作品と考えられている。編纂者像を明らかにする試みがさまざまにおこなわれたが,いまだに実を結んではいない。編者が貴族か僧侶か,単独か複数か,いずれも未解決である。どのような成立事情をもつものか,また,どのような意図で編纂されたのか,編纂者自身は何も語っていず,他の資料で言及されることもないため,いささか不明瞭である。規模の壮大さ,構成の整然としたありかたに,本書がそれまでの説話を集大成しようとしたものであることがみてとれる。それはまた,編者がみずからの世界観を説話集という形に表現したもの,といえよう。
仏教史の世界を描いた一群の巻と,仏教史の外側ともいうべき俗なる世界を描いた一群の巻とに分けることができる。巻一~巻四は,釈迦がこの世に誕生し,仏教を開き,人々を教化したこと,および釈迦の没後のインドの仏教のありさまを述べて,インドの仏教史の世界を描いている。巻六~巻九(巻八は欠巻)は,中国に仏教が伝えられ定着していった過程,およびさまざまな霊験説話,因果応報説話を述べて,中国の仏教史の世界を描いている。巻十一~巻二十(巻十八は欠巻)は,日本に仏教が伝えられ定着していった過程,およびさまざまな霊験説話,因果応報説話を述べて,日本の仏教史の世界を描いている。以上の,巻一~巻四,巻六~巻九,巻十一~巻二十が,仏教史の世界を描いた一群の巻である。これ以外の巻々,すなわち,巻五,巻十,巻二十一~巻三十一(巻二十一は欠巻)は,それぞれインド,中国,日本の,王,賢臣,后妃,思想家,武人,庶人のさまざまな説話を収録し,仏教史の世界に対する俗なる世界を描き出している。
仏教史の世界を描いた巻においても,教理に関する叙述はまれで,関心はむしろ不思議なできごと,奇異な事件にあり,また,あるいは偉大な,あるいは奇矯な人間にある。俗なる世界を描いた巻においては,その傾向はいっそう顕著である。とくに,不思議な宿縁を描いた巻二十六,霊鬼・神怪を描いた巻二十七,笑話を収録した巻二十八,偸盗・殺人・動物殺傷を描いた巻二十九,恋愛説話を収録した巻三十,奇異伝承を収録した巻三十一などは,さらに奇異なる世界への関心の深まりを見せている。
冒頭から本書を読みすすめた読者は,インド・中国・日本の3国に流伝する仏教の歴史の概略,その偉大さ,不思議さを知らされる。そしてさらにその外側に,さまざまな奇異なできごと,不思議なおこないに満ちた世界が広がっていることを知らされるのである。
各説話は,冒頭を〈今ハ昔〉で始め,末尾を〈トナム語リ伝ヘタルトヤ〉で結ぶ形式に,基本的には従っている。また説話の末尾に付された批評,教訓のような文章も,語り手自身の言としてではなく,伝聞として語られている。すなわち,編者である語り手は自分自身の思想・感情を読者にあらわに示すことなく,伝聞した事実を,すなわち説話を,伝えることに専念している,という体裁がとられている。口頭伝承を記録した体裁をとっているが,すべての説話は直接にはなんらかの文献にもとづいていると推定される。原拠となった文献には,10巻本《釈迦譜》《三宝感応要略録(さんぼうかんのうようりやくろく)》《弘賛法華伝(ぐさんほつけでん)》《冥報記》《孝子伝》などの中国の資料,あるいはその翻訳,《日本霊異記(りよういき)》《三宝絵(さんぼうえ)》《本朝法華験記》《日本往生極楽記》などの日本の資料があり,散逸した《宇治大納言物語》もおそらくは原拠となっていよう。
説話の文体は,いわゆる和漢混淆文(わかんこんこうぶん)であるが,原拠となった文献の文体を反映して,漢文訓読調の濃厚な部分,和文調への傾斜の大きな部分が混在している。原拠となった文献を誤解した部分も多いが,原拠にもとづきながらも新しい解釈をまじえたり,また複数の資料を取捨し組み合わせて説話を構成したり,新しい工夫もみられる。とくに,院政期の語彙(ごい)・語法がふんだんに盛りこまれた躍動的な行文は,細部の描写にすぐれ,本書の説話を,たんなる書き直し・翻訳の域を超えるものとしている。この躍動的な文章は,語り手の思想・感情よりも,説話を伝えることを主眼とした叙述形式とあいまって,説話に描かれた奇異なできごとを読者に強烈に印象づけている。
18世紀に刊行されるまではきわめて限られた読者しかもたなかったらしく,直接の影響が認められる作品を見いだすのは困難である。近世の読本(よみほん)などには資料として用いられているが,一般にその文学としての価値が認められるのは近代に入ってからのことであり,とくに,芥川竜之介の作品や,〈野性の美〉を本書に見いだした彼の評論に触発されてのことである。
→説話文学
執筆者:出雲路 修
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平安後期の説話集。1059話(うち本文を欠くもの19話)を31巻(うち巻8、18、21は欠)に編成する。
[森 正人]
1120年(保安1)以降まもなく、白河(しらかわ)院政のころ成るか。編者未詳。中心的編者のもとで複数の人の協同作業であったか、1人の手に成ったかについても、説は分かれている。ただ、構成、素材、文体などを総合的に判断して、仏教界に属する者の編であろう。すべての説話に文献資料があったとみられる。中国の仏教説話集『三宝(さんぼう)感応要略録』『冥報記(めいほうき)』『弘賛法華伝(ぐざんほっけでん)』および船橋家本系『孝子伝』、日本の『日本霊異記(りょういき)』『三宝絵詞(さんぼうえことば)』『日本往生極楽記』『本朝法華験記(ほっけげんき)』『俊頼髄脳(としよりずいのう)』が主要な確実な資料である。また、現在伝わらない源隆国(たかくに)作の『宇治大納言(うじだいなごん)物語』や、いくつかの仏教説話集も有力な資料となったと考えられる。こうして、本書は、それまでの説話集のさまざまの系統を集大成するものとなっている。
[森 正人]
巻1~5を天竺(てんじく)(インド)、巻6~10を震旦(しんたん)(中国)、巻11~31を本朝(日本)のごとく3部に分け、各部をそれぞれ仏法、世俗の2篇(へん)に分ける。各部、篇は、主題、素材によって説話を分類配列し、全体が緻密(ちみつ)に構成されている。各説話は、「今ハ昔」の冒頭句、「トナム語リ伝ヘタルトヤ」の末尾句をもって、形式的統一が図られている。また、各部冒頭から、創始を語る説話が年代順に配列されているから、3国の仏法と王法の歴史を示す基本構想のあったことが認められる。こうして本書は、当時考えられる全世界を説話によって描き出し、すべての事柄とできごとに統一と秩序を与えようとする試みであった。その構想は、古代末期の価値観の動揺、社会的行き詰まりが、意識的にも無意識的にも影響して生まれたと考えられる。説話の舞台は中央から辺境に及び、登場人物も国王や貴族から下層の老若男女、妖怪(ようかい)、動物と多様である。編者はおおむね旧(ふる)い価値観にたちながらも、従来の文学が目を向けることのなかった新しい世界を取り上げ、とくに、山林修行民間布教の聖(ひじり)、武士、盗賊などの精神と行動を具体的に描き出している。したがって、その文学精神は古代的であると同時に、中世文学の出発を予感させる作品ともなっている。また、即物的な漢字片仮名交じり文体は、叙情や人間の微妙な内面を表現するには適していなかったけれども、非伝統的、非貴族的な対象に対しては十分効果を発揮している。『平家物語』などの和漢混交文の先駆とみなされる。
[森 正人]
伝本のほとんどが江戸時代の書写で、それらはすべて、鎌倉時代中期を下らない鈴鹿(すずか)本を祖本とするから、中世にはほとんど流布しなかったらしい。中世文学に直接的な影響を与えた形跡もない。江戸時代に本朝部世俗篇の一部が刊行されている。近代に入って、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)がその説話を素材に『羅生門(らしょうもん)』『芋粥(いもがゆ)』などの小説を書き、そのころからようやく文学的価値が注目されるようになった。
[森 正人]
『山田孝雄他校注『日本古典文学大系22~26 今昔物語集1~5』(1959~63・岩波書店)』▽『馬淵和夫他校注・訳『日本古典文学全集21~24 今昔物語集1~4』(1971~76・小学館)』▽『『日本文学研究資料叢書 今昔物語集』(1970・有精堂出版)』▽『坂口勉著『今昔物語の世界』(教育社歴史新書)』▽『池上洵一著『今昔物語集の世界 中世のあけぼの』(1983・筑摩書房)』
平安後期の説話集。31巻(欠巻3巻)。編者未詳。書名は各話の冒頭「今(ハ)昔」による。1130~40年(大治5~保延6)頃の成立か。文献に依拠した1000余話を収める大作だが,成立後は広く流布せず,本格的検討は芥川竜之介に始まる。源隆国(たかくに)編「宇治大納言物語」(散逸)との関連が注目されるが不明で,編者には白河上皇や南都の大寺院周辺の僧俗が想定されるが確定できない。編集目的も未詳だが,編者の関心は広く百科全書的であり,天竺(てんじく)(インド)・震旦(しんたん)(中国)・本朝を仏法と王法の論理を軸に展望する。表記は宣命書(せんみょうがき)で,文中には意識的な欠字が頻出する。現存諸本の祖本は鈴鹿三七氏蔵の鎌倉中期写本。「日本古典文学大系」「日本古典文学全集」所収。
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…《枕草子》と並んで,《源氏物語》にも,〈愛〉〈愛す〉の語は1例も使用されていない。 このように平安女流文学においては,〈愛〉〈愛す〉が使用されていないのに対して,平安末期の仏教説話集《今昔物語集》では,これらの語が頻用されている。しかし,この現象は,必ずしも時代の新古のみによるものとは考えられない。…
…日本ではこの2書に《善悪因果経》を加えた3書の影響のもとに多くの因果応報説話が形成された。仏教説話集はすべて因果応報説話集といえるが,中でも《今昔物語集》巻九,巻二十は,それぞれ中国・日本の因果応報説話の集成として注目すべきものである。また,近世に多く行われた〈鼓吹(くすい)〉〈直談(じきだん)〉などを書名にもつ通俗仏教注釈書は,中世以前の因果応報説話を多く継承している。…
…内容は,地蔵を安置する寺院の縁起,地蔵信仰によって得た利益(りやく)など,基本的には阿弥陀や観音の霊験譚と異なるものではないが,地獄から蘇生した話が多く見られるのが地蔵の霊験譚の特徴である。《今昔物語集》巻十七に32の地蔵霊験譚が収録され,そのほとんどは《地蔵菩薩霊験記》の類話なので,本書の成立は平安時代にさかのぼりうる。しかし実睿撰と伝えられる巻二に〈文和年中〉(1352‐56)や〈曾我兄弟〉(仇討は1193年)という言葉が出てくるから,現存の《地蔵菩薩霊験記》は実睿の著そのものではなく,地蔵信仰の普及とともに後人が増補改訂したものと思われる。…
…口頭の語りだけでなく,道長の法成寺御堂の扉絵に八相成道が描かれたり,貞観寺の仏伝の柱絵にもとづく絵解きや《梁塵秘抄》にみる歌謡(今様)世界で仏伝が歌われるなど,さまざまな領域で仏伝の物語は享受されていた。 11世紀後半になって,釈迦滅後二千年に〈末法〉の暗黒の世に入るという終末観の思想が広まったが,12世紀前半の《今昔物語集》が初めて体系的な仏伝文学を形成したのもこの末法の考えと深いかかわりがあろう。《三宝絵》が前世の仏を問題にしたのに対し,《今昔》は人間としての釈迦の生を徹底して見すえようとする。…
…これらの民話を集成した《パンチャタントラ》は,のちにシリア語やアラビア語に訳されて西方に伝播し,《イソップ物語》や《アラビアン・ナイト》,さらには《グリム童話》,J.deラ・フォンテーヌの《寓話》などに影響を与えた。また,日本へも前述の漢訳文献を通じて《今昔物語集》などに入っている。たとえば,〈二羽の紅鶴と亀〉の話は,〈亀と鷲〉(イソップ),〈二羽の家鴨と亀〉(ラ・フォンテーヌ),〈雁と亀〉(《今昔物語集》)となり,一角仙人の話は《今昔物語集》を通じて謡曲《一角仙人》や歌舞伎《鳴神》となっている。…
…7世紀末ころに中国より伝来した琵琶は,管絃の合奏に用いられる一方,盲僧と結んで経文や語り物の伴奏楽器とされた。《今昔物語集》には琵琶にすぐれた宇多天皇の皇子敦実親王の雑色(ぞうしき)蟬丸(せみまる)が,盲目となって逢坂山に住んだが,そのもとに源博雅(みなもとのひろまさ)が3年間通って秘曲を伝授される話を載せる。蟬丸は琵琶法師の祖とされ,醍醐帝第4の皇子という伝承を生むが,一方彼らの自治組織ともいうべき〈当道(とうどう)〉では,仁明天皇第四皇子人康(さねやす)親王を祖神とし,天夜(あまよ)尊としてまつる。…
…《宇治拾遺物語》序に《宇治大納言物語》(原本不詳)の作者と伝える。《今昔物語集》の撰者ともいわれるが不明。【黒板 伸夫】。…
…平安末期の荒れ果てた羅生門の楼上,職を失った下人は死人の髪を抜きとっている老婆を取り押さえるが,生きるためにはこうするほかはないという老婆の言葉を聞くや,その着物を剝ぎとって闇の中へ消えてゆく。材を《今昔物語集》に取り,下人の心理の推移をみごとに描きとってみせたこの作品の主題をエゴイズムの剔抉に見るか,老婆の語る倫理を超えたニヒリズムに見るか,あるいは下人の示す善への勇気と悪への勇気をともに持った人間存在の矛盾そのものの凝視に見るか,その主題は幾様にも読みとれるが,いずれにせよ人間をつねに複眼的にとらえ,人生の一局面をあざやかに切断して作品化せんとする短編作家芥川のまぎれもない誕生をここに読みとることができよう。【佐藤 泰正】。…
※「今昔物語集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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