東中富村(読み)ひがしなかとみむら

日本歴史地名大系 「東中富村」の解説

東中富村
ひがしなかとみむら

[現在地名]藍住町東中富

奥野おくの村の西にあり、北は竹瀬たけのせ村、西は吉野川(現旧吉野川)を挟んで西中富村(現板野町)に接し、南は吉野川(別宮川)に臨む平坦地。讃岐街道南東から北西に通る。「阿波志」は古くは光富みつとみと称したと記す。中世には西中富村と一帯で中富と称され、天正一〇年(一五八二)三好氏と土佐長宗我部勢が戦った中富川合戦の古戦場は両所にまたがる。東中富には討死した矢野・犬伏らの諸将の供養碑などもある。また天文二二年(一五五三)の鎗場の合戦も当地で中富川を挟んで戦われるなど、戦国期にはしばしば戦場となった。天正一二年一一月一四日、長宗我部氏から土居重兵衛に与えられた五六ヵ所・八町四反四五代の坪付のうちに「中富祖母か嶋」がみえる(「某所領宛行状」土佐国蠧簡集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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