東堀村(読み)ひがしぼりむら

日本歴史地名大系 「東堀村」の解説

東堀村
ひがしぼりむら

[現在地名]岡谷市長地おさち 東堀

東は友之町とものまち(現下諏訪町)、西は横河よつかわ川、北部は西山田にしやまだ村、南は諏訪湖に臨んでいる。天正一八年(一五九〇)の諏訪郡御検地御高帳(諏訪郡諸村並旧蹟年代記)に「高八百四石 東堀郷」とある。かつては西堀村とともに一郷で堀之内ほりのうちといったが、横河川の氾濫で分断された。享保一八年(一七三三)書上の諏方藩一村限村地図(長野県庁蔵)によれば、当時の家数は一〇三軒であった。天保五年(一八三四)の信濃国郷帳には高一千二五三・五三七石とあり、諏訪湖以北第一の石高である。

伊那道と中山道の分岐点にあたり、近くしば(芝)(正八幡宮)がある。南朝方の勢力挽回のため、その中心となって奔走した宗良親王が、正平七年(一三五二)この柴宮に一時滞在したという伝承がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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