西堀村(読み)にしぼりむら

日本歴史地名大系 「西堀村」の解説

西堀村
にしぼりむら

[現在地名]浦和市西堀一―一〇丁目・桜田さくらだ一―三丁目・田島たじま九丁目・新開しびらき一丁目・同四丁目・中島なかじま一丁目・せき一丁目・西堀

関村の北に位置する。東は大戸おおと(現与野市)平野原ひらのはらの新開地に持添新田があり、荒川沿いにも鹿手袋しつてぶくろ村との入会の持添新田がある。また高沼こうぬま新開の地をも持添としていた。小名として日向ひなたがあり、当村では西堀と日向を別村のようによんでいたという。与野領に属した(風土記稿)。田園簿では田四七九石余・畑一九八石余で、旗本水野領。ほかに氷川明神領一〇石があった。承応(一六五二―五五)の頃上知となったと伝え(風土記稿)、国立史料館本元禄郷帳には幕府領とあり、社領を除いて幕末まで幕府領であったと考えられる(旧高旧領取調帳など)


西堀村
にしぼりむら

[現在地名]岡谷市西堀・ほりうち東銀座ひがしぎんざ

東は横河よつかわ川を隔てて東堀ひがしぼり村、北は小井川おいかわ村、西は岡谷村に接し、南は諏訪湖に面している。天正一八年(一五九〇)の諏訪郡御検地御高帳(諏訪郡諸村並旧蹟年代記)に「高弐百拾弐石 西堀郷」とある。古くは東堀村とともに一郷であって堀之内といった。両社御造栄領御神領等帳に「三貫九百文 堀之内田役」とあり、慶長一九年(一六一四)の信州諏方御頭帳には「東堀之内」「西堀之内」の記載がある。これは中世末期横河川の氾濫があって集落が東西に分断され、また街道筋の変遷もあって現在地に移り、東堀村・西堀村といわれるようになった(岡谷市史)


西堀村
にしぼりむら

[現在地名]新座市西堀一―三丁目・新堀しんぼり一―三丁目・本多ほんだ一―二丁目・野火止のびどめ二丁目

野火止宿の南西、武蔵野台地野火止面の中央部にある。南境近くを流れる野火止用水本流に沿って南西から北東へ細長く延びる。北は菅沢すがさわ村、北西は多摩郡下清戸しもきよと・中清戸・上清戸の三村(現東京都清瀬市)、南は同郡小山こやま村・門前もんぜん村・神山こうやま(現同都東久留米市)。野火止新田の一環として開発され、寛文元年(一六六一)の検地では上畠五町六反余・中畠二六町九反余・下畠四七町七反余・下々畠一〇町四反余・屋敷一町七反余・立野一三町一反余、村高五〇石となり、名請人二三人(「武蔵野開検地帳」平林寺文書)


西堀村
にしぼりむら

[現在地名]竜洋町豊岡とよおか

掛塚かけつか輪中の北に位置し、南は川袋かわぶくろ村、西は天竜川を挟んで老間おいま(現浜松市)。天正一九年(一五九一)一一月二〇日の四拾七村惣高辻書上(横山家文書)に西堀とあり高一七一石余。松平忠頼領郷村帳に村名がみえ高六五石余、田一町九反余・畑七町八反余、ほかに権現領七石余。元禄郷帳によると高八八石余。江戸時代の領主の変遷は川袋村に同じ。天竜川池田いけだ(現豊田町)の渡船では大助船役郷として小船一艘を勤めた(寛政四年「天竜川渡船由緒書上帳」天竜川船越渡船資料)


西堀村
にしぼりむら

[現在地名]福井市西堀町

福井城下の北西、日野川右岸近くに位置し、祇王三郎丸ぎおうさぶろうまる村の北にある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では舟津ふなつ之郷の地に含まれていたと思われ、村名は正保郷帳に出る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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