東安田村(読み)ひがしやすだむら

日本歴史地名大系 「東安田村」の解説

東安田村
ひがしやすだむら

[現在地名]中町東安田

中安田村の東、杉原すぎはら川中流域北岸に位置する。東は山越え石原いしはら(現黒田庄町)、南は大木おおぎ(現西脇市)、北に山を負う。中世には安田庄に含まれ、安田郷とよばれた。慶長国絵図には竹嶋たけしま村の北に「東村」と記載される。正保郷帳では田方三七八石余・畑方六五石余、山役があった。ほかに竹嶋村が記され、田方九石余・畑方七石余、山役があった。両村とも幕府領。その後竹嶋村の大部分は東安田村に合併されたものと思われる。文政三年(一八二〇)三卿の一橋領(「一橋家領知高帳」一橋徳川家文書)。旧高旧領取調帳でも同領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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