朝日日本歴史人物事典 「東山湛照」の解説
東山湛照
生年:寛喜3(1231)
鎌倉末期の臨済宗の僧。備中(岡山県)の人。諡号は宝覚禅師。はじめ浄土教を学ぶがのちに禅宗に衣を替える。円爾の法を嗣いだのち,三聖寺を開いて三聖門派を形成した。この門派はのちに,荘厳門派とともに聖一派の2大門派となった。また伏見天皇に招かれ宮廷で説法,五山の万寿寺の住持にもなっている。弘安4(1281)年には,円爾示寂のあとを受けて東福寺第2世となるも,ほどなくして三聖寺に戻る。正応4(1291)年,押し入った盗賊により刺殺される。遺骨は円通寺に葬られた。弟子に『元亨釈書』の選者虎関師錬がいる。<著作>『東山録』『宝覚禅師語録』
(石井清純)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報