イェルサレム王国

山川 世界史小辞典 改訂新版 「イェルサレム王国」の解説

イェルサレム王国(イェルサレムおうこく)

1099~1291

第1回十字軍によるイェルサレム攻略後建国。最初ゴドフロワ・ド・ブイヨンが「聖墳墓教会の守護者」として支配するが,まもなくアスカロンの戦いで死亡。弟のボードワン1世があとを継ぎ,王の称号を持つ。国土ヨーロッパから移入された封建制にもとづいて組織化され,封土としてエデッサ伯領アンティオキア公領,トリポリ伯領を有した。王は軍隊を指揮するほか,他のラテン諸国の君主に対して精神的に優位に立つ。しかし内部争いで足元が揺らいでいたうえに,1187年にはサラディンにイェルサレムが占領されてしまう。その後13世紀末にかけて,イスラーム教徒の攻撃により大幅に版図を失っていった。しかしキプロス王は,イェルサレム王の称号を持ち続けた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「イェルサレム王国」の解説

イェルサレム王国
イェルサレムおうこく

1099〜1291
第1回十字軍が建設した王国
十字軍の指導者ゴドフロアが初代の王となった。しかし内紛が絶えず,ヨーロッパとの連絡もとだえがちで,アイユーブ朝のサラディンの猛攻によって,1187年イェルサレム市は奪回された。その後も奪回を試みる十字軍は派遣されたが,1291年,マムルーク朝によって最後の拠点アッコンが陥落し,滅亡した。

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