東広里遺跡(読み)ひがしひろさといせき

日本歴史地名大系 「東広里遺跡」の解説

東広里遺跡
ひがしひろさといせき

[現在地名]深川市音江町字広里

石狩川左岸、標高約五五メートルの沖積平野上に位置する擦文文化中期の集落跡。明治時代に三〇軒以上の竪穴の存在が記録されている(「東京人類学会雑誌」第一〇三号)。昭和六二年(一九八七)・同六三年に石狩川左岸の築堤工事に伴って発掘が行われ、文化層が二層確認された。遺構は上位の文化層から検出され、河道跡の間の微高地竪穴住居跡八軒、河道跡に掘立柱の建物跡一ヵ所、焼土九ヵ所がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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