東庄村(読み)ひがししようむら

日本歴史地名大系 「東庄村」の解説

東庄村
ひがししようむら

[現在地名]倉敷市上東じようとう

下庄しもしよう村の北に位置する。養和元年(一一八一)一二月八日の後白河院庁下文案(新熊野神社文書)に、京都新熊野いまくまの社領とみえる万寿ます東庄に比定される。永禄一一年(一五六八)と推定される九月二〇日の小早川隆景宛行状(萩藩閥閲録)で東庄のうち一〇〇貫文が村上源八郎に与えられている。「備中誌」には下庄村・松島まつしま村の辺りは「慶長正保の頃は入海にて、船入四五十間有て、弐百石位の船は入しとぞ」と記され、東庄・上庄・下庄などは宇喜多秀家時分の新開地とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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