上東村(読み)かみひがしむら

日本歴史地名大系 「上東村」の解説

上東村
かみひがしむら

[現在地名]西郷町上西(かみにし)

上西村の北東に位置する。正保国絵図に村名がみえる。貞享五年(一六八八)の「増補隠州記」によれば、田五六石余・五町余、畑二〇石余・一三町八反余。小物成は竈役面判銀(以下断りのない限り同銀)六匁・絞油八合役一匁六分・核苧二〇〇目役五匁・牛皮一枚役丁銀二匁五分、漆一升二合役は米一石三斗余で代納している。家数は上西村分を含め八五(百姓五〇・間脇三五)、うち御役目屋敷二九(上西二三)、人数四八一、牛一三〇・馬一〇二、弓・鉄砲各一、熊野権現・竜王(りゆうおう)社など五社が鎮座。真言宗の西蓮(さいれん)寺・本暦(ほんれき)寺、禅宗の伴桂(ばんけい)寺がある。山林は長さ三五町・幅二五町。唐橋中将が配流され、のち討っ手により殺害されるが、これにちなんで創祀されたのが柄橋(からはし)明神という小社で、唐橋中将隠れ穴と伝承する地もある。


上東村
かみひがしむら

[現在地名]舞鶴市字上東

三日市(みつかいち)村の北方、福井(ふくい)川が西流して由良川に合流する一帯に立地。東方の滝尻(たきじり)峠を経て上福井(かみふくい)村から田辺(たなべ)城下に至る。小字藤津(ふじつ)は由良川の河港・渡船場として賑った。小字峠(とうげ)に古墳一基がある。

慶長検地郷村帳に高三三八・八四石「上東村」とみえ、土目録でも高は変化せず、内訳は田方二八〇石余、畑方五八石余、運上のなかに撫網運上銀二匁があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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