東弘寺(読み)とうこうじ

日本歴史地名大系 「東弘寺」の解説

東弘寺
とうこうじ

[現在地名]石下町大房

大房だいぼう集落西南、鬼怒きぬ川東岸に所在。高柳山信順院と号し真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。真宗二十四輩の第九番。東弘寺縁起などによれば建長二年(一二五〇)に善性が開基した。善性は後鳥羽天皇の第三子(第二子ともいう)正懐親王で、出家して比叡山に登り周観(または円観)と称した。諸国行脚中に豊田とよだ城主豊田治親のもとにとどまり、小島おじま(現下妻市)の草庵に親鸞を訪れてその法弟となり善性と改めた。善性は一宇を建立し、親鸞から東弘寺の寺号を与えられた。治親も親鸞の法弟となって良信と改め、第二世となった。当初の建立地は現筑波郡大穂おおほ町大字長高野おさごうやとする説(下総旧事考)と現石下町大字蔵持くらもち大高山おおたかさんとする説(縁起)などがあって明らかでないが、「東国闘戦見聞私記」の「石毛東弘寺、下妻和睦に付、吉原備前諫言の事」には治親の弟で住僧の忠円が天正三年(一五七五)に「多賀谷へ申入れ和睦を調へて政経も悦び東弘寺へ寺領百石を寄附し大房に移し」たことがみえている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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