日本歴史地名大系 「東愛宕町・西愛宕町」の解説 東愛宕町・西愛宕町ひがしあたごまち・にしあたごまち 広島県:広島市東区東愛宕町・西愛宕町[現在地名]東区愛宕(あたご)町大須賀(おおすが)村と城下矢賀(やが)村(現南区)の一部から町分とされた地区で、城下新開組に属した。「知新集」は古名を松原(まつばら)町とよび、「此所秘記の寛永初年の絵図ニハ、左右松並木松ありて、松原なり」と記し、承応三年(一六五四)の図に松原新屋敷とあること、「天和の絵図よりはしめて二町とす、されは此所家並建連りしは、寛永の中頃より、正保・慶安の間なるへし」と述べている。おそらく大須賀村と城下分矢賀村との境の辺りを、ほぼ北東から南西に通過する山陽道(西国街道)沿いが、やがて松原町の名を付けられ、次いで東西の二町となったものであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報