日本歴史地名大系 「東松江村」の解説 東松江村ひがしまつえむら 兵庫県:明石市東松江村[現在地名]明石市松江・貴崎(きさき)三丁目・川崎町(かわさきちよう)明石川河口の西側、播磨灘に面した海辺沿いの村。東は林(はやし)村、北は和坂(かにがさか)村、西は東松江川を挟んで西松江村。西浦辺組に所属。貞治三年(一三六四)焼失した福祥(ふくしよう)寺(現神戸市須磨区)再興のため、住持賢祐は松江でも如法経による勧進をした(「当山暦代」福祥寺文書)。文安二年(一四四五)二月三日からの一年間に計約五〇艘の松江船籍の船が兵庫北関に入津し、二月から九月にかけては淡路国三原(みはら)(現三原町)よりの塩が主たる積荷で、一〇月以降になると穀物(米・豆)に替わった(兵庫北関入船納帳)。慶長国絵図に「ひかしまつゑ」とみえる。正保郷帳によると田高三二〇石余・畑高五三石余、小松原あり。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報