日本歴史地名大系 「東柵町」の解説 東柵町ひがしさくまち 茨城県:水戸市水戸城下下町東柵町[現在地名]水戸市三の丸(さんのまる)三丁目・柵(さく)町一―三丁目水戸城本丸の南下にある。東は鍵堀前(かぎほりまえ)、西は西柵町。「水府地名考」は「江戸佐竹両氏の代柵を構へし所なるへし」という。町の西に中御殿があった。元和―寛永(一六一五―四四)頃までは肥田氏、次に三木氏が住し、寛永五年徳川光圀はここに生れた。元禄一〇年(一六九七)前後三木氏が北三の丸(きたさんのまる)に移ったのち中御殿が設けられた。御殿前に武者溜があり、その東方から城中へ上るところに柵町坂下(さくまちさかした)御門と柵町御門(不開門)の二門があった。東方旧城跡の下に御厩があって牛部屋・馬部屋があり、その東に鍵堀御門があり、元禄三年からこの地を鍵堀見付と改めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by