日本歴史地名大系 「東検校町・西検校町」の解説 東検校町・西検校町ひがしけんぎようまち・にしけんぎようまち 三重県:津市津城下東検校町・西検校町[現在地名]津市中央(ちゆうおう)京口(きようぐち)番所近くの北堀端(きたほりばた)より北へ入る武家屋敷町で、西(にし)町の西裏筋が東検校町、さらに西の町筋を西検校町という。両町を合せて古くは検校町と称したが、慶安(一六四八―五二)頃より東検校町と西検校町とに分れた。「草蔭冊子」に「東検校町、藩士ノ邸宅地ナリ、北端ニ柵門アリ、釜屋町ヘノ通路ニシテ之ヲ釜屋町口ト云フ、往昔、須山検校・杉山検校等住居セシヲ以テ此名アリ」とある。杉山検校は杉山流鍼術の始祖杉山和一で、父杉山権右衛門は津藩士であった。和一は幼年で失明、苦行の果て秘術を会得したという。江戸で将軍綱吉の治療をして信任を得、関東総禄検校の位についた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報