東殿塚古墳(読み)ひがしとのづかこふん

日本歴史地名大系 「東殿塚古墳」の解説

東殿塚古墳
ひがしとのづかこふん

[現在地名]天理市中山町 大門

古墳時代前期の前方後円墳。平成九年(一九九七)に調査が行われ、墳丘の基底部は地山整形、それ以上は盛土であることが判明した。この調査で注目されたのは、前方部西側下段から空濠内に台形状に配列された埴輪群であった。古式土師器とともに鰭付楕円筒埴輪があり、この側面に三面にわたってヘラ書きで準構造船を描いていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東殿塚古墳」の意味・わかりやすい解説

東殿塚古墳
ひがしとのづかこふん

奈良県天理市中山町の西へ延びる幅広い尾根上にある前方後円墳。1977年(昭和52)の奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所による測量・遺物採集に始まり、93年(平成5)の天理市教育委員会による後円部北側墳丘の調査、97年同教育委員会による前方部西側の調査が行われた。墳丘は前方部を南に向け、全長139メートル、後円部の径65メートル、同高6メートル、前方部の幅49メートルである。後円部頂には円形壇の痕跡(こんせき)がある。埋葬施設は未調査であるが、竪穴(たてあな)式石室の存在が予想されている。97年の調査では前方部西側の裾(すそ)において、供献された土器群と円筒埴輪(はにわ)の配列を伴う小規模な突出部が確認された。出土土器は古式土師器(はじき)の良好なセットを示し、また一部の円筒埴輪には舟の線刻画が描かれていた。東殿塚古墳は、古墳時代前期前半の大型古墳が密集する大和(やまと)盆地の南東部において、土師器・埴輪の使用時期の前後関係や古墳祭祀(さいし)のようすを解明するのに貴重な情報を提供した古墳として大変重要である。

大塚初重・古屋紀之]

『東潮・関川尚功著「東殿塚古墳」(『磯城磐余の前方後円墳』所収・1981・橿原考古学研究所)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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