日本歴史地名大系 「東深谷村」の解説 東深谷村ひがしふかやむら 静岡県:榛原郡金谷町東深谷村[現在地名]金谷町神谷城(かみやしろ)菊川(きくがわ)村の南に位置し、菊川の上流左岸に立地する。西は菊川を境に城東(きとう)郡西深谷村、南は石神(いしがみ)村。東海道金谷宿と日坂(につさか)宿(現掛川市)の間の宿であった。文禄二年検地高目録に深谷村とみえ、高一四四石余。正保郷帳には東深谷村と記され、田方一二八石余・畑方一六石余、幕府領で二代官所支配。元禄郷帳には深谷村とあり、高一五九石余、幕府領(国立史料館本元禄郷帳)。宝永三年(一七〇六)三河伊保藩本多氏領となるが、同七年本多氏が相良(さがら)(現相良町)に転封となったため相良藩領となる(「本多家四代之記」本多家文書、正徳二年本多忠晴領知目録、享保二年本多忠通領知目録など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by