日本歴史地名大系 「東由岐村」の解説
東由岐村
ひがしゆきむら
西由岐浦の東に位置し、南は海に臨む。地内のイヤ谷に康暦二年(一三八〇)銘の板碑が建てられている(阿波志)。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図では「東ゆき」とみえる。正保国絵図では「由岐之内 東由岐村」、寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳では由岐浦の枝村として東由岐浦とある。宝暦一三年(一七六三)の検地帳(由岐町役場蔵)によれば、上々田から下々下田までの九等級で(畠は一〇等級)、田畠合せ六町二反余・高四八石余、うち六石余は加子屋敷頭二六人への支給分で、内麦は二石余。「阿波志」によれば、土田は陸田三町四反余・水田二町一反余、高四一石余、家数一一七・人数五五三。文化一〇年(一八一三)の高都帳では東由岐村として高四一石余。天保郷帳では由岐浦のうちか。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報