東草野谷
ひがしくさのだに
伊吹山地と七尾山地(草野山)の間を流れる姉川上流域の甲津原から板並に至る間の谷名で、西方の現東浅井郡浅井町の草野川の谷を草野谷(西草野谷)というのに対する名称。伊吹町が成立する昭和三一年(一九五六)までは東浅井郡(明治一三年までは浅井郡)に属した。中世には草野庄に属したと考えられる(浅井町の→草野庄)。江戸時代には北(上流)から甲津原村・曲谷村・甲賀村・吉槻村・上坂並村・下坂並村の六村があった(板並を一村と数え、東草野谷五村ともいう)。天正一九年(一五九一)四月二五日、豊臣秀吉の奉行木下吉隆は「板並・高賀・吉槻・高津原・曲谷」に宛て「草野三郷事、先年忠節仕付而」という理由で、この度の検地を免除し、年貢は前年までのままとする旨を伝えている(「木下吉隆書状」曲谷共有文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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