日本歴史地名大系 「草野庄」の解説
草野庄
くさののしよう
「吾妻鏡」文治二年(一一八六)一二月一〇日の条に「十日草野次郎大夫永平
被
定補
、是且任
相伝
、且被
優
奉公労
」とある。草野永平の本貫地は筑後国であるが、以来この地に後裔が土着し土豪となっている。草野氏の所領は松浦郡の松浦川東側一帯の松浦
勧請
所也」とあり、また「河上宮記」には「肥前国上松浦郡草野庄平原村」と記す。なおこの一帯は
草野庄
くさののしよう
草野庄
くさののしよう
草野川の上・中流域を庄域とした庄園。平治の乱に際して
室町時代には円満院のほか青蓮院門跡・大館氏(将軍近臣)によって分割領知されており、康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」によれば、この三者によってそれぞれ五貫文・二貫文・五貫文が幕府に納められている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報