草野庄(読み)くさののしよう

日本歴史地名大系 「草野庄」の解説

草野庄
くさののしよう

吾妻鏡」文治二年(一一八六)一二月一〇日の条に「十日(癸)未、肥前国鏡社宮司職事、以草野次郎大夫永平定補、是且任相伝、且被奉公労」とある。草野永平の本貫地は筑後国であるが、以来この地に後裔が土着し土豪となっている。草野氏の所領は松浦郡松浦川東側一帯の松浦東郷とうごう(→松浦庄と称される地域で、現在の唐津市および東松浦郡浜玉町・七山村の範囲にあたる。これが草野庄とも称されたようで、「諏訪宮古伝記」に「縁起曰、肥前国上松浦郡草野庄浜崎之諏訪大明神者、延暦年中奉勧請所也」とあり、また「河上宮記」には「肥前国上松浦郡草野庄平原村」と記す。なおこの一帯はかがみ(青蓮院文書)萱野かやの(松浦記集成)などともよばれており、相互関係は明確でない。


草野庄
くさののしよう

古代の仲津なかつ蒭野くさの(和名抄)の郷名を継承したとみられる宇佐宮弥勒寺領庄園。小波瀬おばせ川と長峡ながお川に挟まれた下流域の現大字草野を中心とした一帯に比定される。かつては海岸近くに立地していたと推定され、古代より草野津として機能していた。「本朝世紀」長保元年(九九九)三月七日条によると、弥勒寺講師の長祐は長徳四年(九九八)九月に京都みやこ郡賀田郷(苅田郷か)で雨米が降ったという一件を、「野庄」前検校の早部(日下部か)真理から聞及んでいる。こうした関係を踏まえるとすでに当庄は弥勒寺領となっていたとみられる。


草野庄
くさののしよう

草野川の上・中流域を庄域とした庄園。平治の乱に際して野瀬のせ大吉だいきち寺に源義朝をかくまった草野定康に義朝がその所領を安堵したことが「吾妻鏡」文治三年(一一八七)二月九日条にみえる。暦応三年(一三四〇)六月四日、円満院尊悟親王が北朝より「草野南北庄」などを安堵されているが(「光厳上皇院宣案」伏見宮御記録)、康安元年(一三六一)二月一三日には足利義詮が草野庄半済を京極導誉に宛行っている(「下文案」佐々木文書)

室町時代には円満院のほか青蓮院門跡・大館氏(将軍近臣)によって分割領知されており、康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」によれば、この三者によってそれぞれ五貫文・二貫文・五貫文が幕府に納められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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