東蓮寺藩陣屋跡・直方藩陣屋跡(読み)とうれんじはんじんやあと・のおがたはんじんやあと

日本歴史地名大系 の解説

東蓮寺藩陣屋跡・直方藩陣屋跡
とうれんじはんじんやあと・のおがたはんじんやあと

[現在地名]直方市殿町・直方

元和―延宝期(一六一五―八一)および元禄―享保期(一六八八―一七三六)に設けられていた福岡藩支藩である東蓮寺藩・直方藩(延宝三年に東蓮寺藩を直方藩と改称)の陣屋跡。延宝期までの陣屋(藩主居館)は現在の殿との双林そうりん院境内に、元禄―享保期の陣屋は妙見みようけん山に置かれた。元和九年に福岡藩初代藩主黒田長政が亡くなると、その遺言によって長政の四男黒田高政に鷹取たかとり四万石(六端城の一であった上頓野村旧鷹取城を中心とする四万石)を分知して支藩を創設することが、将軍徳川秀忠の裁許を受けて決定された(吉田家伝録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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