東諸木村(読み)ひがしもろぎむら

日本歴史地名大系 「東諸木村」の解説

東諸木村
ひがしもろぎむら

[現在地名]春野町東諸木

東は新川しんかわ川を隔てて亀割かめわり村、北は愛宕あたご山を隔ててうちたに芳原よしはらの両村、西は西諸木村、南は土佐湾を望む。「土佐州郡志」は亀割村を含めて東諸木村とし、「東限長浜名村唐戸切貫、西限西諸木藤崎、南限滄海、北限内谷、東西二十一町南北二十一町、村中多竹叢、其土黒又多砂」と記す。新川川は村内北東の唐戸からと長浜ながはま(現高知市)に向かう。

中世木塚氏が領有した喜津賀きづかのうちで、のちにはその東分に含まれたと思われる。永禄年中(一五五八―七〇)当地は長宗我部氏と本山氏との合戦の渦中にあり、同四年三月一六日付の長宗我部元親感状(堀内文書)に「連々機遺無比類候、然者弓箭存分迄にて壱町五段可扶持候、弥忠節可仕候者也」とあり、宛名の堀内九郎左衛門は東諸木城主と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報