東貝野村
ひがしかいのむら
[現在地名]北勢町東貝野
鞁村の北西、員弁川支流貝野川の東に位置する。「三国地志」に記載されている「南貝野」は東貝野の誤りか。天正一二年(一五八四)頃と思われる織田信雄分限帳によれば、鉄炮衆の青山新七の代官がこの地に五貫文の所領を有していた。江戸時代は桑名藩領。文政七年(一八二四)の村明細帳(徳川林政史蔵)には、戸数九〇、人数四四八(男二三六・女二一二)、牛四三、馬八。助馬金二分と銀一四匁八分八厘を負担した。社寺に神明・牛頭天王・八幡宮・山ノ神二社・不動堂、宝林寺(臨済宗妙心寺派)とある。宝林寺は永仁年中(一二九三―九九)は天台宗であったが、延宝元年(一六七三)臨済宗に転宗したという(員弁郡郷土資料)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 