東野崎浜(読み)ひがしのざきはま

日本歴史地名大系 「東野崎浜」の解説

東野崎浜
ひがしのざきはま

[現在地名]玉野市東野崎など

山田やまだ西田井地にしたいじ・東田井地・梶岡かじおか胸上むねあげの六ヵ村にわたる海面を埋立てて築造された塩田。出資者は野崎浜(現倉敷市)かめ浜などをもつ塩田地主の児島こじま味野あじの(現倉敷市)の野崎武左衛門。武左衛門は文政一三年(一八三〇)岡山藩から塩田築造の許可を得、地元の大庄屋北方きたかた村合田千右衛門や山田村名主三宅平五郎の協力を得て地元民の説得を開始(「五ヵ村名主等連署請書」三宅文書など)、天保五年(一八三四)工事区域の示を建てたが、資金繰りからすぐに着工できなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の東野崎浜の言及

【当作歩方制】より

…幕末から明治期にかけて,備前児島半島の野崎浜(元野崎浜は倉敷市児島味野,東野崎浜は玉野市山田)でみられた特殊な地主小作制。野崎浜では1塩戸(1軒前)に3種類の当作人が存在し,それぞれ権利を意味する歩方が付与せられていた。…

※「東野崎浜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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