デジタル大辞泉
「玉野市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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玉野市
たまのし
面積:一〇三・三〇平方キロ
県の南端中央部に位置し、いわゆる児島半島の東半分を占める。昭和一五年(一九四〇)の市制施行まで児島郡に属した。北東部は標高三〇〇―四〇〇メートルの山稜を境に岡山市と接し、北部の一部は児島湖に面する。北西部から西部は岡山平野および標高二〇〇―三〇〇メートルの半島中央丘陵によって児島郡灘崎町と倉敷市に接する。南と東は瀬戸内海に面し、香川県と境している。市域の中央部は標高一〇〇―二〇〇メートルの丘陵が続き、海岸に面した狭い平地に市街地が集中し、西部の鴨川流域に開けた荘内地区や東部の東児地区の長谷川流域、および北部の七区干拓地にまとまった水田地帯が広がっている。
JR宇野線が常山・八浜・備前田井の各駅を経て宇野駅まで延び、香川県高松市への連絡船が発着する。国道三〇号が岡山市から宇野まで延びて四国連絡の一翼を担い、国道四三〇号が宇野から南岸部を経て倉敷市児島方面に抜ける。昭和六三年の瀬戸大橋開通によって当市の四国連絡の機能低下が予想され、国道三〇号も四三〇号に降格合併される予定である。
〔原始・古代〕
南岸一帯から旧石器時代のサヌカイト製打製石器などが採取されている。おもな散布地は渋川の宮田山・矢出山、日比の宮山、出崎半島の南端丘陵があげられる。ナウマンゾウの化石も海底から引上げられている。縄文時代になると、早期の押型文土器が前述の旧石器時代の遺跡や胸上の波張崎から出土しているが、中・後期の遺物では、出崎海岸から良好な資料が出土している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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玉野〔市〕
たまの
岡山県南部,児島半島東部にある市。 1940年日比 (ひび) 町と宇野 (うの) 町が合体して市制。市名は日比町玉の「玉」と宇野町の「野」の合成。 53年山田村,54年荘内村,55年八浜 (はちはま) 町,74年東児 (とうじ) 町をそれぞれ編入。近世までは港町日比のほかは農漁村であったが,1909年宇野港の築港が完成,翌年国鉄宇野線が開通し,本州と四国を結ぶ国鉄宇高連絡船が就航。 19年玉地区に造船所が設立され,急速に工業化が進展した。日比には銅の製錬所がある。胸上,石島はノリ養殖,山田地区では酪農が盛んなほか内海塩業の製塩工場や農薬工場がある。渋川は岡山県随一の海水浴場で海洋博物館,県立海事研修所がある。常山,金甲山,十禅寺山は瀬戸内海と児島湾干拓地の展望にすぐれる。市域の一部は瀬戸内海国立公園に属する。 88年隣接する児島 (倉敷市) と坂出 (香川県) を結ぶ瀬戸大橋開通により宇高連絡船は廃止,現在フェリーが就航している。面積 103.58km2(境界未定)。人口 5万6531(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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