東陽寺跡(読み)とうようじあと

日本歴史地名大系 「東陽寺跡」の解説

東陽寺跡
とうようじあと

[現在地名]江南町押切

御正山若宮坊と号し、本山派修験で、京都聖護しようご院末寺であった。本尊は役行者像。「風土記稿」によれば、天平勝宝三年(七五一)若宮権現を祀る宮祠を建て、僧慶元がそばに庵を建て若宮坊と号したのが創始とされ、文明年中(一四六九―八七)僧慶舜の代に一寺となり、慶舜を開山とすると伝える。文明三年八月吉日の旦那売券(熊野那智大社文書)によると、橋爪四郎は大里郡先達の「ミそうの若宮坊」などの紀州那智山旦那職一円を、東蔵房に料足一二貫文で売渡している。慶長三年(一五九八)聖護院門跡より大里郡内の御正みしよう郷、久下くげ郷・石原いしはら郷・小島こじま(現熊谷市)おか(現東松山市か)鎌塚新宿かまつかしんしゆく(現吹上町)の六ヵ所の年行事職を安堵され(「聖護院門跡興意法親王御教書」・「聖護院坊官岩坊澄孝達書」御正山家文書)、同地域の霞下をたばねていたが、このときの二通の文書は検討を要するといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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