松岡藩(読み)まつおかはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松岡藩」の意味・わかりやすい解説

松岡藩
まつおかはん

常陸(ひたち)国(茨城県)多賀郡に置かれた小藩手綱(てづな)藩ともいう。1868年(明治1)水戸藩付家老(つけがろう)中山氏(信徴(のぶあき))の領地が藩となり、71年の廃藩まで続いた。2万5000石(実高1万7759石)。藩庁は多賀郡手綱町(高萩(たかはぎ)市)の松岡城にあり、家臣の数267人、領民1万1100人、領地の村数29。中山氏は領地を松岡付(つけ)と称し、本藩と同様の政務を行い、水戸藩からの独立を図った。水戸藩主徳川斉昭(なりあき)時代一時抑圧されたが、維新期には終始新政府側にたって行動し、領内産の石炭献上などを行った。廃藩後、松岡県を経て茨城県に編入

[佐久間好雄]

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デジタル大辞泉プラス 「松岡藩」の解説

松岡藩

常陸国、下手綱(現:茨城県高萩市)を本拠地とした小藩。藩主は中山氏。

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世界大百科事典(旧版)内の松岡藩の言及

【中山氏】より

…信吉のとき徳川家康に仕え,1607年(慶長12)家康の命で十一男の頼房の守役(もりやく)となり,14年頼房が水戸藩主となると,付家老となって水戸領内で1万5000石の知行地を与えられた。14代信徴(のぶあき)のとき維新政府のもとで,1868年(明治1)1月,他の三家付家老とともに藩屛に列せられ,2万5000石の松岡藩として独立した。のち男爵。…

【松岡[町]】より

…西流する九頭竜(くずりゆう)川が福井平野に出るところに位置し,町域の北半はその扇状地が占める。1645年(正保2)松平昌勝が福井藩から5万石を分知され,九頭竜川南岸の芝原江上村に館を置いて松岡と改め,松岡藩が成立,侍屋敷約300の館町として発展した。〈松岡八町〉といわれる町屋敷も整い,17世紀末には家数358。…

※「松岡藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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