松岡館跡(読み)まつおかやかたあと

日本歴史地名大系 「松岡館跡」の解説

松岡館跡
まつおかやかたあと

[現在地名]松岡町葵

松岡市街地の北端九頭竜くずりゆう川南岸の河岸段丘上にある。

正保二年(一六四五)八月、三代福井藩主松平忠昌の死去に伴い、同年一一月、遺領中五万石が次男昌勝に分封された。所領は吉田郡五〇村・丹生郡三三村・坂井郡二三村・今立郡三村・大野郡六村・南条郡一一村・足羽あすわ郡四村であった。館は芝原江上しばはらえがみ村の地に定められ、新たに同地は松岡と命名され、松岡藩が成立。築城は許されず、御屋敷(御館)造営に終わった。慶安元年(一六四八)一一月に造営が始まった(国事叢記)。館は東を表とし、周囲には土居と水濠をめぐらし、東西約二〇〇メートル、南北約一四〇メートルの矩形

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 足羽 昌平 中央

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android