日本歴史地名大系 「松岸村」の解説 松岸村まつぎしむら 千葉県:銚子市松岸村[現在地名]銚子市松岸町・松岸見晴台(まつぎしみはらしだい)柴崎(しばさき)村の東、利根川右岸に位置し、銚子道が通る。江戸時代松岸河岸が置かれていた。常灯(じようとう)寺蔵の天正四年(一五七六)一〇月一七日銘の大般若経巻四〇八奥書に三崎(みさき)庄海上本庄(うなかみほんじよう)浦内松岸村とみえ、同村住僧の権少僧都照誉が書写している。同一八年松平伊昌領となり、年未詳の松平氏領書上(宮内家文書)では松岸村一七三石余。 松岸村まつぎしむら 福島県:大沼郡会津高田町松岸村[現在地名]会津高田町松岸宮(みや)川左岸の段丘上にあり、北は屋敷(やしき)村、西の山中に蛇喰(じやばみ)村がある。北に小名竹花(たけのはな)、南に小名樋口(といのくち)がある。村の北東にある手児(てこ)神社は古い由緒をもち、欽明天皇一三年に伊佐須美(いさすみ)神社と同じく明神(みようじん)ヶ岳より勧請したと伝える。明徳二年(一三九一)五月一三日の某判物(新編会津風土記)に「大沼郡松岸諏訪田」とあるが、この文書は検討を要する。近世は会津領から寛永二〇年(一六四三)以降南山御蔵入領で、冑組に属した。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高三〇六石余。文化一五年(一八一八)の南山御蔵入領組村高帳では高三五五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by