松川裁判
まつかわさいばん
広津和郎(ひろつかずお)の評論。1958年(昭和33)11月、中央公論社刊。1949年8月、米軍占領下で起こった松川事件の被告たちの無実を信じた広津が、新聞や雑誌で広く世間に訴え、二審判決後は「文士裁判」などの非難にも屈せず判決文の批判を『中央公論』に連載(1954.4~1958.10)して、この書にまとめた。予断や憶測を避け、法廷記録の緻密(ちみつ)で実証的な検討に終始し、しかも鋭い作家の目を働かせた明察は無類の説得性をもち、全員無罪判決への原動力の一つとなった。
[橋本迪夫]
『『松川裁判』上中下(中公文庫)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の松川裁判の言及
【中央公論】より
…論壇・文壇に数々の話題を提供した。なかでも広津和郎《松川裁判》の長期連載は特筆すべきものであった。60年12月号の深沢七郎《風流夢譚》が皇室を侮辱するものとして右翼のはげしい攻撃を受け,翌61年2月にテロ事件([風流夢譚事件])に発展して以来,誌面にいささかの変化がみられるようになった。…
※「松川裁判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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