朝日日本歴史人物事典 「松平康重」の解説
松平康重
生年:永禄11(1568)
安土桃山・江戸時代前期の武将。初名康次。次郎,左近丞,周防守と称す。駿河国三枚橋城(沼津城)の城主松平(松井)康親の子。母は徳川家康の侍女賀茂氏。天正11(1583)年に父の遺領を継いで三枚橋の城主となる。同18年の小田原陣に際しては,徳川勢の先鋒として佐野より宮城野,湯本への攻撃に軍功をあげる。慶長5(1600)年の関ケ原の戦の折には掛川城を守衛し,同7年には佐竹氏の秋田転封に伴い水戸城を守り,佐竹旧臣の車丹波らの反乱を鎮圧する。同13年に丹波国篠山5万石余を賜ったが,同地は山陰道の要害の地であったことから幕府より山陰,山陽道12カ国の人夫をもって篠山城が築造された。元和5(1619)年に和泉国岸和田城に移り,のち6万石となった。
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報