松平康重(読み)まつだいら・やすしげ

朝日日本歴史人物事典 「松平康重」の解説

松平康重

没年:寛永17(1640)
生年永禄11(1568)
安土桃山・江戸時代前期の武将。初名康次。次郎,左近丞,周防守と称す。駿河国三枚橋城(沼津城)の城主松平(松井)康親の子。母は徳川家康の侍女賀茂氏。天正11(1583)年に父の遺領を継いで三枚橋の城主となる。同18年の小田原陣に際しては,徳川勢の先鋒として佐野より宮城野,湯本への攻撃に軍功をあげる。慶長5(1600)年の関ケ原の戦の折には掛川城を守衛し,同7年には佐竹氏の秋田転封に伴い水戸城を守り,佐竹旧臣の車丹波らの反乱を鎮圧する。同13年に丹波国篠山5万石余を賜ったが,同地は山陰道の要害の地であったことから幕府より山陰,山陽道12カ国の人夫をもって篠山城が築造された。元和5(1619)年に和泉国岸和田城に移り,のち6万石となった。

(笠谷和比古)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平康重」の解説

松平康重 まつだいら-やすしげ

1568-1640 織豊-江戸時代前期の大名
永禄(えいろく)11年生まれ。松平康親(やすちか)の長男。父のあと,駿河(するが)(静岡県)三枚橋城主。天正(てんしょう)18年徳川家康の関東入りに際し,武蔵(むさし)寄西(私市)(きさい)に2万石をあたえられる。常陸(ひたち)笠間(かさま)城,丹波八上(やかみ)城とうつり,慶長14年丹波篠山(ささやま)城主。元和(げんな)5年和泉(いずみ)(大阪府)岸和田藩主松平(松井)家初代となる。6万石。寛永17年6月27日死去。73歳。三河(愛知県)出身。初名は康次(やすつぐ)。通称は次郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松平康重の言及

【岸和田藩】より

…一氏が85年に近江国水口に移封され,代わって小出秀政が4000石で封ぜられたが,しだいに加増され95年(文禄4)には3万石となり,その子吉政,孫吉英(よしひさ)と続いた。1619年(元和5)に丹波篠山から松平(松井)康重が5万石をもって封ぜられたが,31年(寛永8)1万石増の軍役を上申して許され6万石を領有した。40年に摂津高槻から岡部宣勝が6万石をもって入封したが,その子行隆は61年(寛文1)襲封と同時に弟2人に5000石と2000石を分与したので,以後岸和田藩は5万3000石となり,明治初年まで13代,230年続いた。…

※「松平康重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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