松平康重(読み)まつだいら やすしげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平康重」の解説

松平康重 まつだいら-やすしげ

1568-1640 織豊-江戸時代前期の大名
永禄(えいろく)11年生まれ。松平康親(やすちか)の長男。父のあと,駿河(するが)(静岡県)三枚橋城主。天正(てんしょう)18年徳川家康の関東入りに際し,武蔵(むさし)寄西(私市)(きさい)に2万石をあたえられる。常陸(ひたち)笠間(かさま)城,丹波八上(やかみ)城とうつり,慶長14年丹波篠山(ささやま)城主。元和(げんな)5年和泉(いずみ)(大阪府)岸和田藩主松平(松井)家初代となる。6万石。寛永17年6月27日死去。73歳。三河(愛知県)出身。初名は康次(やすつぐ)。通称次郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松平康重の言及

【岸和田藩】より

…一氏が85年に近江国水口に移封され,代わって小出秀政が4000石で封ぜられたが,しだいに加増され95年(文禄4)には3万石となり,その子吉政,孫吉英(よしひさ)と続いた。1619年(元和5)に丹波篠山から松平(松井)康重が5万石をもって封ぜられたが,31年(寛永8)1万石増の軍役を上申して許され6万石を領有した。40年に摂津高槻から岡部宣勝が6万石をもって入封したが,その子行隆は61年(寛文1)襲封と同時に弟2人に5000石と2000石を分与したので,以後岸和田藩は5万3000石となり,明治初年まで13代,230年続いた。…

※「松平康重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む