松平斉典(読み)まつだいら なりつね

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平斉典」の解説

松平斉典 まつだいら-なりつね

1797-1849 江戸時代後期の大名
寛政9年11月2日生まれ。松平直恒(なおつね)の3男。兄直温(なおのぶ)の養子となり,文化13年武蔵(むさし)川越藩(埼玉県)藩主松平(越前(えちぜん))家4代。文政10年将軍徳川家斉(いえなり)の25男紀五郎を養子にむかえた。天保(てんぽう)12年2万石の加増。藩校講学所(博喩堂)を創設,また川越版「日本外史」を刊行させた。嘉永(かえい)2年11月5日死去。53歳。初名は矩典(のりつね)。通称は徳之助。

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367日誕生日大事典 「松平斉典」の解説

松平斉典 (まつだいらなりつね)

生年月日:1797年11月2日
江戸時代末期の大名
1850年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松平斉典の言及

【川越藩】より

…武蔵国(埼玉県)入間郡川越に藩庁を置いた譜代中藩。ただし後期の松平家は越前家分家の親藩。江戸に近い番城として老中などの重臣が配置された。1590年(天正18)酒井重忠が川越城1万石を領したのが藩の起りである。重忠は城下町の諸役を免除し商人の集住を図ったが,1601年(慶長6)上野国厩橋(まやばし)に移った。09年弟忠利が2万石で入封,検地を実施し,仙波喜多院を復興,三芳野天神社を建立した。忠利没後,嫡男の武蔵国深谷城主で老中忠勝が遺領を合わせ8万石で襲封した。…

※「松平斉典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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