朝日日本歴史人物事典 「松平斉典」の解説
松平斉典
生年:寛政9.11.2(1797.12.19)
江戸後期の武蔵川越藩主。はじめ矩典,大和守。川越藩主松平直恒の3男。江戸生まれ。文化13(1816)年兄直温の早世により,末期養子となって襲封,15万石。文政10(1827)年将軍徳川家斉の24男紀五郎を養子とする。幕府から相模の海岸防備を命じられ,藩財政も困窮したため,御用商人を勘定奉行格に任命して再建を図ったが成功せず,天保11(1840)年出羽庄内への転封を願ったが,庄内藩の領民の反対一揆により挫折,代わりに翌年加増されて17万石となった。藩政では,荒廃地の復興や治水の整備,組合村の編成による支配体制の再建など,積極的な政策を取り,藩校博喩堂を創設し『日本外史』を出版させるなど文教政策にも尽くした。<参考文献>『川越市史』3巻,『埼玉県史』通史編4巻
(根岸茂夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報