松本弘子(読み)マツモト ヒロコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松本弘子」の解説

松本 弘子
マツモト ヒロコ


職業
ファッションモデル ファッションアドバイザー

生年月日
昭和10年 8月11日

出生地
東京

学歴
成蹊学園高〔昭和30年〕卒

経歴
昭和29年「アサヒグラフ」のカバーガールとなったのがきっかけでモデルとなり、フリーのファッションモデルとして活躍。35年にはフランスの有名デザイナー、ピエール・カルダンに招かれて渡仏。36年カルダン店のマネジャーアンリ・バーゴエアと結婚し、38年以来パリに在住。日本人で初めてパリコレクションに出演、日本人形のようなおかっぱ頭とエキゾチックな顔だちで花形モデルとして人気を集め、“東洋のヒロコ”と呼ばれた。42年に出産を機にモデル活動を辞め、50年からフランス「ヴォーグ」で編集、広報、広告の日本担当責任者を務める。平成7年退社。以後フリーのファッションアドバイザーとなり、日仏のファッション交流に尽くした。8年神戸ハーバーサーカスにブティック“ル・ショワ・ド・ヒロコ”を開店した。

没年月日
平成15年 6月21日 (2003年)

伝記
海の向こうで輝いて―あなたもいつか…7人の女性の愛と成功成功の条件海外で活躍する7人の女性12人の豊かな生き方深田祐介の最先端ウーマン学 山中 啓子 著山中 啓子 著矢作 恒雄 編著深田 祐介 著(発行元 双葉社新潮社同文舘出版講談社 ’97’93’90’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「松本弘子」の解説

松本 弘子
マツモト ヒロコ

昭和・平成期のファッションモデル,ファッションアドバイザー



生年
昭和10(1935)年8月11日

没年
平成15(2003)年6月21日

出生地
東京

学歴〔年〕
成蹊学園高〔昭和30年〕卒

経歴
昭和29年「アサヒグラフ」のカバーガールとなったのがきっかけでモデルとなり、フリーのファッションモデルとして活躍。35年にはフランスの有名デザイナー、ピエール・カルダンに招かれて渡仏。36年カルダン店のマネジャー、アンリ・バーゴエアと結婚し、38年以来パリに在住。日本人で初めてパリコレクションに出演、日本人形のようなおかっぱ頭とエキゾチックな顔だちで花形モデルとして人気を集め、“東洋のヒロコ”と呼ばれた。42年に出産を機にモデル活動を辞め、50年からフランス「ヴォーグ」で編集、広報、広告の日本担当責任者を務める。平成7年退社。以後フリーのファッションアドバイザーとなり、日仏のファッション交流に尽くした。8年神戸ハーバーサーカスにブティック“ル・ショワ・ド・ヒロコ”を開店した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本弘子」の解説

松本弘子 まつもと-ひろこ

1935-2003 昭和後期-平成時代のファッションモデル,服飾評論家。
昭和10年8月11日生まれ。35年ピエール=カルダンにまねかれて日本人モデルとしてはじめてパリコレクションの舞台をふむ。フランス人と結婚,42年モデルを引退したが,58年パリ-ヴォーグ社にはいり評論分野で活躍。平成8年神戸にブティック「ル・ショワ・ド・ヒロコ」を開店。平成15年6月20日夜(日本時間21日)パリで死去。67歳。東京出身。成蹊学園高卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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