精選版 日本国語大辞典 「東洋」の意味・読み・例文・類語
とう‐よう ‥ヤウ【東洋】
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中国からみての一地域の呼称。14世紀以後の中国史にみられるが、時代によってその範囲は異なる。南海を東洋諸国と西洋諸国に分け、ボルネオ島のブルネイを基準に、その西岸から南岸、およびそれから西と南の諸国を西洋、ボルネオの東岸および東方の諸国を東洋といった。この区別は、宋(そう)代以後、海船が磁針を備え、西洋針路と東洋針路を用いたことによる。つまり、華南の海港を出て、針路を西にとって回る諸国のインドシナ半島からマレー半島、スマトラ島、ジャワ島、さらにインドあたりまでを西洋といった。針路を東にとる澎湖(ほうこ)島、台湾、フィリピン、モルッカ、スル島、パラワン島などを東洋とよんだ。ただし、近代中国で東洋はもっぱら日本をさす。
なお日本では、明治維新後から、西洋(欧米)に対する東洋ということで、アジア全域をさして用いている。
[星 斌夫]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
日本では西洋に対する概念として,ふつうアジア諸国の総称に用いられている。中国では13~14世紀頃から南海地方を東西に分けることによって用いられた名称で,フィリピン,モルッカ諸島,ボルネオ方面をさした。その後,台湾や日本も東洋に含まれたが,特に日本をさすようになった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
… 欧米によるアジア進出に対抗した〈興亜〉の流れと,日本の欧米化を願う〈脱亜〉の流れは,対立する二つの思想潮流であったが,両者とも〈亜細亜〉という漢字表記(その省略形も含む)を用い,これはやがて〈東亜〉〈大東亜〉という用語として継承された。
[アジアと東洋]
明治期には,もう一つ,orientまたはthe Eastの訳語として,〈東洋〉が登場する。もともと〈東洋〉は漢語においては〈東(ひがし)の洋(うみ)〉すなわち日本またはその近海の海を指す意味であり,日本でも幕末までは多くの人がこの用法を踏襲していたが,明治になると地理的には日本,中国,インドあたりまでを含み,とくに文化(宗教,思想,歴史)の共通性を強調する概念となる。…
…やがて西欧文明は,その兄文明であるイスラム文明を凌駕して世界征服の事業を押し進め,それは,19世紀から20世紀にかけて全地球的規模において完成するに至った。西欧文明によるこの世界制覇の結果,西欧文明中心主義に基づく〈哲学史〉の概念や〈哲学〉の概念が生まれ,また〈西洋〉対〈東洋〉の概念,すなわち“近代的進歩的な”西洋に対する“前近代的停滞的な”東洋という概念が成立した。そして,これらの概念が,学問的検討以前の暗黙の了解事項として世界的に流布することになった。…
…秦の始皇帝のとき前214年に南方を征服し,今日の広州に南海郡をおいたのは,そこが南海への連絡口だったからである。のちには南シナ海の南部からインド洋にわたる海域を南洋と称し,広州または泉州(福建省)から南に伸ばした一線によってこれを東西に分け,東洋,西洋といった。【日比野 丈夫】。…
… 平安時代に入ってから用いられた〈扶桑(ふそう)〉とか〈夫木(ふぼく)〉とかの日本国の別称も,もともと,中国古代神話において,東海のかなた太陽の出る所にあると信じられた大きな神木をさし,またその地をさしていた。中世から近世にかけて,日本の知識人は自国の異称に〈東海〉〈東洋〉〈東瀛(とうえい)〉〈東鯷(とうてい)〉などの語をそのまま用いたが,これらの異称は,いずれも東シナ海の東方に存在する島国という意味である。別に〈日東〉という異称も頻繁に用いられていた。…
※「東洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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