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松森胤保 まつもり たねやす

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松森胤保 まつもり-たねやす

1825-1892 幕末-明治時代の武士,理学者。
文政8年6月21日生まれ。文久3年出羽(でわ)鶴岡藩(山形県)の支藩松山藩の付家老となる。維新後,松嶺藩大参事,松嶺開進中学校長などをつとめる。物理学,博物学,考古学を研究,独自の進化論を説いたことで注目される。明治25年4月3日死去。68歳。本姓は長坂。字(あざな)は基伯。通称は欣之助,嘉世右衛門。号は南郊。著作に「両羽博物図譜」「培植小論」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

松森胤保

没年:明治25.4.3(1892)
生年:文政8.6.21(1825.8.5)
幕末明治期の武士,博物家。鶴岡の庄内藩士長坂家に生まれる。通称は欣之助,号は南郊,のち松森に改姓。39歳で支藩松山藩(山形県松山町)の家老となり,幕末の江戸薩摩藩邸焼き打ち(1867)や戊辰東北戦争(1868)で同藩兵を指揮。維新後は地方政治と初等中等教育に携わるとともに,考古学・博物学で活躍した。主著は『両羽博物図譜』で,正確な描画と豊富な記述,独自の分類が特色である。うち禽類図譜は50年の探鳥歴の集大成で,十余の日本初記録種を含む鳥学史の重要資料。ほかに『北征記事』や『弄石余談』などの著作がある。徹底的に収集し,かつ体系を求める姿勢は日本人には珍しい。

(磯野直秀)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の松森胤保の言及

【進化論】より


【日本の進化論】
 江戸時代末期近く石門心学者の鎌田柳泓(りゆうおう)(1754‐1821)が著した《心学奥の桟(かけはし)》(1816稿,1822刊)に進化の観念がのべられており,それは蘭学書よりの知識にちがいないが,詳細は不明とされる。明治時代に入り,松森胤保(たねやす)《求理私言》(1875)に進化のことが書かれたが,進化論の最初の体系的な紹介は1878年に東京大学動物学教授として来日したアメリカ人E.S.モースによってなされた。その講義はのち石川千代松訳《動物進化論》(1883)として刊行された。…

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